~世界で愛される~25° 田苑 金ラベル
樽で熟成することによって生まれる豊かな味わい、まろやかな口あたり。3年以上貯蔵した原酒が50%を超えて含まれる「長期貯蔵酒」の中でも、「田苑 金ラベル」は全量に樽貯蔵した原酒だけを使用。 より芳醇な味と香りに仕上げています。ロングセラーとして日本のスピリッツファンに愛されるだけでなく、世界の品評会でも高い評価を受けています。 (蔵元サイトより)
商品情報
原材料 | 大麦・大麦麹・米麹 |
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アルコール度数 | 25度 |
使用麹 | 白麹 |
使用酵母 | |
仕込水 | |
蒸留方法 | 常圧蒸 |
取り扱い・保存について | 冷暗所 |
田苑酒造株式会社(鹿児島県薩摩川内市樋脇町)
1890(明治23)年、西南戦争から親族四人のうちただひとり生き残った塚田祐介は、
米どころとして有名な北薩の塔之原天神地区に塚田醸造場を創業。
「玄米と黄麹」を原料に、手間を惜しまない蒸留を行い、
玄米焼酎「つかだ」の製造を開始しました。
当時は「玄米と黄麹」による焼酎造りに高い技術が必要であり、
また生産量も少なかったことから、
多くの蔵元が原料を「白米と黒麹」へと変えていきました。
しかし塚田醸造場は伝統の味わいにこだわり、玄米による焼酎造りを貫きました。
終戦を迎えても米が入手困難な状況が続いたため、
1947(昭和22)年、4代目塚田定清は芋を原料とした焼酎製造を再開。
その焼酎は鹿児島では好評を得ましたが、東京では厳しい評価を受けてしまい、
「焼酎の品質改善」を決意します。
もとより世界の酒造りに精通し、焼酎が熟成によって洗練されることに着目していた塚田は、
1956(昭和31)年、樽貯蔵本格焼酎の開発に着手。
鹿児島に戻り、新しい焼酎造りに向けた研究と挑戦の日々をはじめたのでした。
樽貯蔵酒の研究を進めると同時に、1970(昭和45)年、
塚田醸造場は玄米による焼酎製造を復活。
すぐに完売する評価を得つつも原料価格に圧迫され、厳しい経営が続きました。
そして、ついに酒類免許の返上まで考えたそのとき、
当時の薩摩酒造社長から「これまでの歴史を踏まえて、
今までにない蔵元を一緒にやろう」との申し出があり、
事業の継続と再出発が可能となったのです。
窮地を救い、のちに初代社長となる本坊豊吉がはじめて蔵元を訪れたおり、
周辺の田園風景に感嘆したことに由来し、1979(昭和54)年、
「田苑酒造株式会社」は誕生しました。
田苑酒造として再出発した後は、長年培ってきた技術力に加え最新の設備も導入。
樽貯蔵酒の研究開発も加速し、1982(昭和57)年、ついに日本初の「樽貯蔵麦焼酎」が完成しました。
1990年(平成2)年には音楽仕込みの技術も開発し、ますます独自の焼酎造りを究めていく田苑酒造。
世界を知り、世界に認められる蔵元としてこれからも、
日本が誇る蒸留酒「焼酎」の可能性を、どこまでも追求し続けます。